ニセ本尊とは
平成5年創価学会は自前の本尊製作に踏み切りました。それを正当化するために、「宗門から下付されなくなったのだから、仕方がないではないか」と言っているようですが、それでは「本物が手に入らなくなったから、ニセモノを出した」と言い訳している、世間の偽装問題の論法と何ら変わりありません。どんなに言い分けしても、ニセモノはニセモノなのです。
そもそも創価学会の第二代戸田会長は
「御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから仏立宗や身延のヤツらが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ魔性が入っている。魔性の力が入っている」(大白蓮華 昭和34年7月号)
「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」(戸田城聖先生質問会集)
と明言していました。
現在、創価学会は「自分達で書写したわけではない。日寛上人の御本尊を印刷したのだ」と言ってごまかしていますが、それが正義ならば、戸田会長の時代から学会所持の御本尊を元に、どんどん自前で増版してもよかった、ということになります。しかし、戸田会長は、そんな恐ろしいことは、絶対にしませんでした。
あの有名な小樽問答では、創価学会側が日蓮宗身延派を破折する際に、「天皇陛下が有り難いから、それを写した写真も有り難い。それでは御本尊様を、ただ写して歩けば良いのですか」と詰め寄っていますが、これはまさに、今の創価学会を破折しているようです。
また、昔の学会の指導では
「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられるのです。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では、絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみもつ深秘の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります」(大白蓮華 第62号)
といっていました。現在の創価学会は「開眼供養は必要ない」などと言って、ただ日蓮正宗の御本尊をマネて作っているわけですから、これはまさに「馬の骨」であり、「恐ろし毒薬」ということになります。
開眼供養について 日蓮大聖人のお言葉
「法華を得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(御書638㌻)
現在、その毒薬を手にしてしまった学会員さんたちが、塗炭の苦しみに喘いでいます。業病に冒され、悶絶しながら最期を迎えた人、精神的に異常をきたし、幻覚や幻聴が出るようになった人、そうした話は、あなたの身近な学会員さんの家庭にあるのではありませんか?また、ニュースでは、熱心な学会員の起こした痛ましい事件や事故が後を絶ちません。
あなたも、ニセ本尊を拝んでから、人生が狂ってしまっていませんか?
恐ろしいニセ本尊への信仰によって積み重ねてしまった罪障は、ただニセ本尊を手放したからといって止まるものではありません。ニセ本尊の害毒は、自然治癒を期待しても無駄なのです。
ニセ本尊による害毒は、その毒素をはるかにしのぐ最高の薬、すなわち日蓮正宗の正しい御本尊、本門戒壇の大御本尊を信仰の根源としてあおぐ日蓮正宗の信仰を通して、はじめて害毒の一切を消滅していくことができるのです。
ここからは実際にニセ本尊に苦しめられた方の証言を示します。少し長くなりますが、創価学会員ならば是非ご一読ください。
(大白法 平成二十九年七月一日号より)
本門寺支部 M.Kさんという方の体験です。↓↓↓
学会の会合や集まりで多くの学会員が、池田名誉会長を絶対視し、「先生、先生」と絶賛、崇拝していることにどうしてもついていけず違和感を覚えていた私は、やがて会合にも、五回誘われてしぶしぶ一回行くといったように次第に距離を置くようになりました。そしてある時期から、聖教新聞や創価新報などの機関紙に、御宗門や前御法主日顕上人猊下、御僧侶方を誹謗中傷する記事が、センセーショナルな白抜きの大見出しで連日のように掲載されるようになりました。
同じ新聞の別の面には、聞いたこともない国や大学から授与されたという称号や勲章をぶら下げ、まるでチンドン屋のような出で立ちで得意気に写真に納まる池田の姿がありました。本部幹部会衛星同時中継でも、それは同じでした。御法主上人猊下を呼び捨てにし、口汚く罵り、自分のことを自ら「先生」と言い、自画自賛のオンパレード。詳しい事情など判らない私でしたが、この宗教者としての品格の欠片(かけら)も感じられない異常な姿に、「こんなん、絶対おかしいやろ」と、何度も母に言ったことを覚えています。この頃から、父も学会活動を全くしなくなりました。
実家になんと『ニセ本尊』が!
平成5年に結婚を機に実家を出た私は、やがて長女、長男も生まれ、疑問を持っていた学会活動や信心とも離れた生活をずっと送っていました。そして平成15年、父が糖尿病が悪化した合併症による足の神経障害、脳機能・腎臓の機能障害を発症して入院。退院後も病院へ通って人工透析を続けなければならなくなって母だけでは心許なくなったため、私は家族を伴い実家へ帰りました。
一緒に暮らすようになって、実家の御本尊が変わっていることに気付きました。幼い頃から拝していた総本山第六十六世日達上人御書写の御形木御本尊様が、全く見覚えのないものに、いつの間にやら替えられていたのです。
「この御本尊、どしたん?」と母に尋ねると「新しいのに替えてもろた。古うなって、いっぱい染みが出とったけん」と言います。「誰に?」と聞くと、学会の会館へ連れていかれ、一万円を払って替えたとのこと。「御本尊を勝手に替えたらいかんやろ」というと、「みんな替えた。こっちのほうが大きいし、きれいなけん」と。私は学会から発行されたその本尊を不審に思い、手を合わせる気さえ起きませんでした。
家庭は崩壊 身体も不調に
平成16年に闘病生活を送っていた父が亡くなり、葬儀は母の希望で創価学会員による友人葬を行いました。その時も、こんな葬儀でいいのかと疑問でいっぱいでした。それからさらに10年余り過ぎた平成27年、今度は私自身に様々な問題が起こってきました。広島の大学に進学していた長女と高等専門学校に進学していた長男が、同時に落第したのです。それをきっかけに家庭がうまくいかなくなり、私は離婚することになりました。長女は大学をやめ、長男は休学して東京へ出て行き、私と母の二人暮らしになってしまいました。一家離散の状況になってしまったのです。
またその頃から私は、左目の視界が白くかすむようになり、やがて前が見えないほど真っ白になってしまいました。眼科へ行くと重度の白内障と診断され、すぐに手術を受けることを勧められました。外的な要因はなく血液検査でも特に異状が見られないことから、医師から「原因不明。まれに強いストレスがかかることで白内障になることがある」との説明を受けました。私の場合は、それだったのだと思います。
学会を信じ 活動迫る母
そんなある日、仕事から帰った私に、母が「あんたが信心せんけん、いかんのや」と学会活動をするように言い出したのです。「学会やしたっていかん(学会なんてしても、ダメだ)」と言う私に、母は毎日同じとを言うようになり、あまりにうっとうしく感じた私は「学会やせん、絶対にせん。学会やしたって、幸せになっとる人やおらん」と言い放ちました。
「一家和楽」はどこへ
事実、学会の同じ支部内で、毎年多額の財務(学会への金銭の寄付)をし、聖教新聞拡販のノルマのため一人で何十部も購読するような、学会でいうところの「信心強盛な人」に限って、本人やその家族がガン、脳梗塞、孤独死、突然死、破産、事業の倒産、自殺、交通事故、離婚、一家離散などの不幸に見舞われ、若年であったり、まだまだ現役という年齢の方が、次々に亡くなるということが続いていたのです。父の友人葬の導師役をした支部長も、程なくしてガンを患い、手術しては再発するということを繰り返して六十代で亡くなりました。次の支部長も経営していた会社が倒産し、家は人手に渡り一家離散の上に、引っ越した先でくも膜下出血で亡くなりました。
このようなことは、ほんの一例に過ぎません。皆さんにお話するのもはばかられるような、すさまじい事実がいくつもあるのです。それらがすべて、私の家から半径わずか1キロメートル居ないという狭い範囲で起こっている恐ろしい現実がありました。昔、学会で理想とされていた「一家和楽の信心」をしている家など、一軒もなかったのです。これは絶対におかしいと思った私は、本やインターネットで創価学会の現状について調べるようになりました。
そして、創価学会が謗法(ほうぼう)を重ね破門に至った経緯や、『ニセ本尊』を作製販売し、「お取り替え」と称して会員宅の御本尊を『ニセ本尊』と交換していること、さらには根本中の根本であったはずの本門戒壇の大御本尊様への信仰を捨てるなど、信じられないほどの無茶苦茶な教義変更を繰り返していることを知ったのです。それからは、仕事から帰ると毎日のように母に「創価学会はとんでもない謗法団体で、今やすべてがでたらめ。まともな信心はなく、広宣流布すべきものなど何一つない完全な邪宗教に成り下がっている」ことを繰り返し話しました。
「正法に戻ろう」 母への説得続く
「お寺にお願いして日蓮正宗に帰らせてもらう」という私に、母は「長年の付き合いやしがらみがあって、学会をやめることはできない」というばかりでした。このとき母は、学会組織の中の「白ゆり長、福運グループ長、教宣部員」などという、いくつもの役職を持たされていたのです。ちょっと前ならば若手婦人部が就(つ)くようなこれらの役職に、83歳にもなる高齢の母が就いていること自体が、いかに創価学会に人がいなくなっているかを如実に物語っていました。
一人、本門寺へ
昨年の夏、私はこれまでの経緯と現状を、本門寺に伺って在勤の御僧侶にお話した上で、日蓮正宗信徒に戻らせていただきたいことをご住職・梶原慈文御尊師にお取り次ぎいただいたのです。その後、8月1日に勧誡式を受け、再入信させていただくことができました。そして母の仏壇とは別に、小さいながらも新しいお厨子、仏具、お樒(しきみ)などを自分の部屋に用意しました。御本尊様を御下付戴いて、8月18日にご住職様をお迎えして入仏式を執り行っていただきました。
ご住職に接して 母もついに決意
この日、ご住職様は母に御書の新尼御前と大尼御前の故事を引かれ、どんなことがあっても信心を持ち続けることの大事さ、御本尊様を御下付戴くことの有り難さをお話くださいました。日蓮正宗への帰伏を頑(かたく)なに拒んでいた母でしたが、入仏式にお越こしくださったご住職様の立派な御姿、お振る舞いに接し、日蓮正宗の正統な信心と、嘘の情報で会員を欺(あざむ)き続ける謗法の創価学会とではどちらが正しいか、はっきりと判ったのだと思います。ついに母は脱会を決意し、学会組織に『ニセ本尊』の返却と脱会を申し出たのです。それからというものは、下は地域の婦人部に始まり、教宣部、上は香川総県副総合長といった大層な役職の県下でも地位の高い幹部までが連日のように押しかけてきました。
母と支部総登山に参加
そのような妨害を乗り越え、翌月の9月1日に母は勧誡式を受け、晴れて再入信させていただくことができたのです。11月の支部総登山に母と共に参加させていただき、私は実に36年ぶりに本門戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただくことができました。御法主日如上人猊下大導師のもと、日蓮大聖人様の御当体である本門戒壇の大御本尊様に御題目を唱えさせて戴きましたとき、再びその大慈大悲に浴することができた喜びと、「大聖人様は待っていてくださったのだ」という有り難さで、胸がいっぱいになりました。
母も以前にも増して美しく荘厳に整備された総本山の姿と、何万人という大勢の信徒が大御本尊様にお目通りを願って参詣されていることを知りました。それと共に、創価学会が組織を挙げて喧伝している「お山は参詣する人もなく荒れ放題で、ペンペン草が生えている」「桜の木は根こそぎ伐採され、なくなってしまった」「建物は修理もされずボロボロで屋根の上に草が生えている」「境内地は野犬やカラスのすみか」などの情報が嘘八百で、卑劣(ひれつ)な捏造(ねつぞう)であることを目の当たりにしたのです。
真実を学会員に伝えたい、救いたい
母はお山から帰ると、その喜びと真実のお山の姿を「学会組織に騙されている会員さんに、どうしても伝えたい」と、近所の数名の学会員宅を訪ねて話をしました。すると、その日のうちに教宣部幹部の知るところとなり、ものすごい形相と陰湿な言葉で、真実を伝えることをやめるよう強要されたのです。その後しばらくの間、母は、どこへ出かけるときにも「Kさん、どこへ行っきょん(どこいくの?)」と、どこからともなく現われた学会員にいきなり背後から声をかけられる、といったように監視され、尾行される状況が続きました。
その一方で学会員の中には、献身的ですばらしい方がたくさんいることも事実なのです。その方は、信じているものが誤りであることも判らず、以前の母がそであったように、学会から打ち出されるままに、ひたすら活動しています。力のない私ではありますが、そういった方々を、悪鬼魔神の正体を露(あら)わにした創価学会の魔の手から、手遅れになる前に何とか一人でも救い出したい、という気持ちでいっぱいです。