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◎立正佼成会、創価学会を経て入信された方の体験

立正佼成会、創価学会を経て入信された方の体験

立正佼成会、創価学会を経て入信された方の体験

 こんにちは。E.Yです。

本日は、昨年の四月十五日に亡くなった母のことと、私自身が信心で変わったことをお話させていただきます。

   私の家は、先祖代々の宗旨は禅宗ですが、祖母が立正佼成会に入信し、私が物心ついた頃には熱心に立正佼成会の信仰をしておりました。私自身、小さい頃、姉と一緒に祖母に手を引かれて、立正佼成会の集まりに連れて行かれたことを覚えています。

 そうした中、今度は、父が職場の人に誘われて創価学会に入り、御本尊様をお受けしたのですが、怒った祖母は、父が仕事に行っている間に、御本尊様を立正佼成会の本部に持って行って焼いてしまう、という大謗法を犯してしまったのです。

 思えば、その頃から我が家は、まさに仏罰を絵に描いたような状況になっていきました。

 まず、祖母は、御本尊様を御不敬した直後からリウマチで苦しむようになり、寝たきりとなって、三年間、許しみ抜いたあげく、亡くなってしまいました。

 また、同じ頃、父は、喘息(ぜんそく)を患(わずら)い、発作が出ると仕事にも行けなくなるため、収人が安定せず、私の家は、いつもいつも貧乏でお金に困っていました。

 さらに、姉は、精神的な障害から、小学校に行くことすらできませんでした。

そして、私自身はといえば、聴覚(ちょうかく)に異常があり、両耳ともほとんど聞こえないくらいの難聴でした。

 そのせいもあってか、小・中学校では、皆から仲間はずれにされた上、階段から突き落とされたり、虫をぶつけられたりと、毎日毎日、ひどいイジメに遭(あ)っておりました。もともと内向的だった私は、学校でも家でも、ほとんど口を開くことがなく、イジメについて一人で苦しんでいました。

  やがて高校を卒業した私は、将来に何のあてもないまま、喫茶店でウエイトレスのアルバイトをしていたのですが、そこで知り合った妙観講のT.Mさんから折伏を受け、昭和五十九年、日蓮正宗に入信することができたのです。

  ところが、家に帰って、日蓮正宗に入信したことを母に話したところ、母は、
 「宗教は金儲けだ。すぐに止めると言ってきなさい」と、大変な剣幕(けんまく)で怒り出したのです。

 それも無理のないことだったかもしれません。母は、昔、立正佼成会に入っていた祖母がリウマチで寝たきりになって、その看病(かんびょう)だけでも大変なのに、さらに父も喘息で働けず、医者に払うお金にも困るような状況の中で、祖母から言いつけられては、立正佼成会に布施(ふせ)を持って行かされるなど、さんざんな目に遭っていたのです。宗教に正邪の違いがあることなど知る由もなかった母は、宗教は懲(こ)りごり、という心境だったのでしょう。

 それからの十年間というもの、私がいくら話しても、母は全く耳を貸してくれず、徹底的に信仰に反対し続けたのでした。

  しかし、私は、母の反対を押し切って勤行に励み、会合にも参加して、さらに教えられたとおり、周囲の人達を片っ端から折伏していきました。

  そうした中の、入信六年目の平成二年、父を折伏した際、父は初めて、自分が創価学会を通じて入信していたこと、祖母の反対で退転してしまったこと、御本尊様を御不敬されたことなどを打ち明けてきました。

 その頃の父は、喘息のために何年間も入院しており、かなり身体も弱っておりました。御本尊様を御不敬した仏罰でこんなにひどい目に遭っているのだ、と知った父は、妙観講に入講することになったのですが、この時も、母は頑(がん)として譲ることなく、自分は絶対に入らない、と言い張りました。

  そんな母が、この信心ができるようになったきっかけは、平成三年の父の葬儀でした。

  父が亡くなった時、私は、葬儀は何としても日蓮正宗で出さなければ、と思い、母に「お父さんは、自分が死んだら日蓮正宗で葬儀を出してほしい、と言っていた。そうさせてほしい」と話しました。

 すると母は、あっさりと 「お前に任せる」と言ってくれたのです。

 猛烈に反対してくるものを覚悟していただけに、それは本当に意外な返事でした。

  さらに驚いたのは、その後の母の行動でした。母は、誰に言われたわけでもないのに、その日のうちに菩提寺である禅宗の寺に足を運び、「私の家は日蓮正宗に改宗しました」と言って、禅宗と縁を切ってきたのです。私は、「まだ御授戒も受けていないのに、せっかちな母だなぁ」と思いながらも、本当に嬉しく思いました。

  そして、無事に父の葬儀が終わった一ヵ月後、先輩方が私の実家に足を運んでくださり、母を折伏してくださいました。母は、「父の追善供養(ついぜんくよう)のためにも」ということで納得し、姉と共に入信を決意してくれました。

 十年もの間、あれほど強行に反対し続けた母とは思えない変わりようでした。

  母は、足が悪かったために、本部での会合には参加できませんでしたが、私が実家に出向いて行なう班座談会の時には、いつもニコニコして話を聞いてくれました。

また、私が『暁鐘』や『妙観』を渡すと、母はいつも熱心に読んでくれました。

とくに、御法主上人猊下様の御説法は、本当に真剣に読んでいました。

 そして、「本当に池田は悪いやつだね」とか「創価学会はとても大きな組織だけど、負けないように頑張れ」などと話してくれるようになったのです。総会にも、何回か参加することができました。

  しかし、高齢となった母は、五年程前から心臓が弱くなり、入退院を繰り返すようになっていきました。

 途中、二回ほど危篤(きとく)状態に陥ったこともありましたが、小川御住職様に当病平癒(とうびょうへいゆ)の御祈念をしていただいたおかげで、そのつど、命を取り留めることができ、こうした体験を通じて、母は御本尊様への信心を固めていくことができたのです。

  そして、昨年四月十五日、母は臨終を迎えましたが、全く苦しむこともなく、穏やかな相で亡くなりました。

 一日おいて四月十七日にお通夜、翌十八日に告別式と決まり、小川御住職様のお計らいで、近くのU市のJ寺様から御僧侶が来てくださることになりました。 

私は、母の成仏を願って、必死で唱題していきました。

そして、お通夜を迎えた時、母は本当にすばらしい姿になっていたのです。

 御書に、
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し」(御書一二九〇ページ)と仰せられ、成仏した人は、生前よりも色が白くなり、死後硬直が起こらず、臭いも全くなく、身体が柔らかくなる、と示されています。

  生前の母は、決して色白な人ではありませんでしたが、臨終を迎えた母の顔は、死に化粧などしていないのに、本当に白くなって、シミの一つもないのです。

体も、硬直することなく、柔らかいままでした。まるで安らかに眠っているような、本当に穏やかな相でした。

  母の遺体と対面した親戚の叔父や叔母からは、「きれいだ!別人みたいだ!」

 と驚きの声が上がり、ある人は、驚きのあまり、「本当にお母さんはきれいな人だ。あなたはお母さんに似なくて可哀相だったね」(笑い)と言ってきました。

  私にとっては、ずいぶん失礼な話ですが、それも、母の相の、あまりの素晴らしさから出た言葉ですから、嬉しく思いました。 お通夜の後、御僧侶に御礼を申し上げたところ、御僧侶からも「本当にきれいな相ですね。自信を持っていいですよ」 と言っていただきました。

  お通夜の日は、講中の同志の方々が大勢駆けつけてきてくださり、母のために、泊りがけでお題目を唱えてくださいました。その功徳に支えられて、母の相はさらにきれいになっていき、息を引き取ってから火葬までのまる三日間、ドライアイスも入れていないのに、全く死臭もありませんでした。

  思えば、私は、これまで祖母・父・母と、三人の肉親を見送りました。

 立正佼成会の信者で御本尊様を御不敬した祖母は、臨終が迫った時、苦しみのあまり「神も仏もない」と叫んで息を引き取り、顔が真っ黒になってしまいました。まさに、御書や経典に示されたとおりの地獄の相です。

  また、大切な御本尊様をお護りできなかった父は、晩年、妙観講に入講はした

 ものの、御題目を唱えることすらなかなかできないような信心状態で、結局、臨終間際には、私に「殺してくれ」と頼むほど、苦しみぬいて亡くなったのです。

 しかし、そんな父も、日蓮正宗で葬儀をしていただくことができ、御僧侶の御祈念と講中の皆さんの御題目のおかげで、辛うじて良い相になることができました

  ところが、信心することのできた母の場合は、四年の闘病(とうびょう)期間中、ほとんど苦しむことがなく、それどころか、臨終が近づくにつれて穏(おだ)やかな相になっていき、ついには成仏の相を現ずることができたのです。

  私は、この三人の姿を引き比べ、あらためて邪宗謗法の恐ろしさを思うと同時に、「やはり、自ら御本尊様を信じて唱えた御題目の功徳は絶大なのだ」と確信し、御本尊様に巡り会えた喜びをかみしめました。

  また、私自身、まだまだ至らないながらも仏道修行に励んでくる中で、本当に考えられないような功徳をいただいてきました。

 入信前は、人と接することが苦手で、些細(ささい)なことで落ち込み、すぐに自殺を考えたりするような伏態だったのが、いつの間にか、周囲の人とも円満に付き合うことができるようになり、今では、人から頼られ慕(した)われることさえあります。気がついたら、会話することも好きになっていました。

  また、両親の体質を受け継いだのか、小さい頃から病弱で、病名を挙げたら二十を超えるくらいでしたが、仏道修行に励むにつれてどんどん健康になっていき、今では病気らしい病気もなくなり、元気すぎるくらいの健康体になりました。

  とくに、入信して数年が経った頃、罪業が出たのでしょうか、父と同じ喘息(ぜんそく)になった時はショックでしたが、発作のために毎日ニ時間ほどしか眠れない状況の中、発作が起きるたびに御本尊様に向かって二時間・三時間と唱題をし、回りの人を片っ端から折伏していったところ、二ヶ月でピタリと治ってしまいました。

  さらに入信七年目には、驚くべきことが起こりました。小さい時からほとんど聞こえなかった両耳のうち、なんと、左耳が完全に聞こえるようになっていたのです。

  それは、本部で唱題していた時のことです。じつは、私は入信以来ずっと、難聴のために皆さんの唱題に声を合わせることができずにいたのですが、たまたまその時、どなたかから「Eさん、声が合うようになりましたね」と声を掛けられ、そこで初めて、いつのまにか自分の耳が完全に聞こえるようになっていることに気が付いたのでした。

 私は、嬉しくて有り難くて、心の底から御本尊様に御礼申し上げました。

  母の葬儀の際に久しぶりに会った叔父や叔母は、私が明るく、しっかりしてきた、と驚き、喜んでくれました。

  御本尊様に出会えなかったら、また出会っても、創価学会で入信した父のように、正しい信心の在り方を教えてもらえなかったら、今の私は絶対にありませんでした。正しい師のもとで、正しく信心させていただけることを、心から有り難く思います。

  現在も、「絶対に創価学会を崩壊させるんだ」との想いで、毎日のように学会員に対する折伏をしておりますが、昨年の総会以降、私の班では十五名の学会員を正宗に帰伏させることができました。

  私が重点的に回っている地域の学会幹部の間では、「Eは有名な詐欺師(さぎし)で、学会の本尊を破り歩いている」などと言われているらしいです。

  もちろん、デタラメもいいところですが、大聖人様は、
「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにく(憎)むべし。よし、にくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。如説修行の人とは是なり」(御書九〇六ページ)と仰せられています。

折伏ゆえに悪口を言われれば、それが全て罪障消滅になるのですから、こんな有り難いことはありません。

 これからも、大聖人様の御金言に身を任せ、しっかりと仏道修行に励んでまい ります。ありがとうございました。