日蓮宗からの改宗 自閉症のお子さんを持つ方の体験
日蓮宗からの改宗 自閉症のお子さんを持つ方の体験
● この方はご自身も重度のアトピー性皮膚炎などに悩まされ、お子様は「自閉症」との難病を持って生まれた合わすとの困難に向き合い人生を開いてこられた体験を語られています。
皆さん、こんにちは。 私は、先祖代々、身延山久遠寺を熱心に信仰してきた、邪宗日蓮宗の檀家の家に生まれました。
その害毒によるものか、私が生まれたときは、左胸の骨がすべて内側に曲り、左の胸が挟(えぐ)られたような状態で取り出されたそうです。その上、全身にひどいアトピー性皮膚炎、さらには喘息(ぜんそく)まで持って生まれてきました。
そんな私を見て、両親は悲嘆にくれ、どうする事もできずに、ひたすら日蓮宗の本尊に手を合わせて祈祷し続けたということです。
その結果、アトピーによる痛みと痺(かゆ)みはどんどんひどくなっていき、泣き叫ぶ私に村して、ステロイド剤が投与されました。この薬を全身に塗(ぬ)ると、一時的に痒みをおさえることはできるのですが、強い薬なだけに副作用も大きく、何度も薬を塗り重ねた患部はケロイド状になって色素がぬけ、白いアザとなって残ってしまいました。
思春期の頃には、鏡を見るのが怖く、絶望感で押しつぶされそうになって、どうして、こんな醜(みにく)い身体に生んだのか」と両親を逆(さか)恨みすることさえありました。
そんな私にも、唯一心の安まる時間がありました。それは、絵を描くことでした。私は、病気の苦しみを逃(のが)れるために、絵の道に打ち込もうと思い、上京して芸術短期大学に入学しました。当時の私は、努力と信念さえあれば、必ず道は切り開かれる、幸せになれる、と信じていたのです。
その後、縁あって、やはり絵の仕事をしている主人と出会って結婚、一見、幸せに見える日々が訪れました。
しかし、邪宗の害毒による宿業は、それほど軽いものではなく、長女・佳苗を出産した日から、一時の幸せは消え失(う)せ、再び奈落(ならく)の底に落ちることとなったのです。
私の長女・佳苗は、自閉症(じへいしょう)という病気を持って生まれてきました。
自閉症というと、単なる引っ込み思案な性格、くらいに思っている人も多いようですが、じつは自閉症とは、生まれつきの脳障害で、視覚・聴覚などの感覚器官で捉えた情報を、正しく理解することができない、つまり、見たり聞いたりしたことを、普通の人と同じように、あたりまえに理解することができない、という脳の病気なのです。
それによって、どういう症状が現われるかといいますと、自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちをくみとる、ということができないため、他の子供と遊んだり、友情を育(はぐく)むということができなくなってしまいます。したがって、言葉を覚えることも難しく、精神の成長も遅れる場合がほとんどです。
事実、佳苗にとっては、母親である私の存在も、道ばたの石ころと何ら変わることがなく、私達とともに、嬉しい・悲しいといった感情を共有することもありませんでした。
同じ道順、同じ着替えの順序、同じ日課などへのこだわりが強く、これらに少しでも変更があると、大変なパニックを起こして奇声をあげ、時には自分の体を傷つける行為をくり返すこともありました。
電車に乗る時も、近所に出かける時も、私たち夫婦は、娘が起こす激しいパニックを、いつもいつも恐れていなくてはなりませんでした。
それは、一時も心の休まることのない、地獄のような日々でした。
さらに救いがなかったのは、この自閉症は原因不明の病気であり、現代医学では完治することができないという事実でした。
小さな子供のパニックでさえ大変なのに、やがて成長した娘が、自分の手を鉛筆やナイフで刺したり、顔を血だらけになるほど掻きむしったり、壁に頭を何度も打ち付けたり……、大人の力でそれをされたら、止めることもできません。考えただけで、絶望感に押しつぶされそうでした。
そんな佳苗も小学校に入学する年齢となり、発達相談所のアドバイスによって、何とか普通学級へ入学させました。
しかし、毎日の送り迎えに加えて、いつ起きるか予想できない娘のパニックに備えて、私は、毎日、学校の道具置き場で待機せざるをえませんでした。
その頃の私はノイローゼ状態で、「ここから逃げたい。死にたい。この子さえいなければ……」と嘆くばかりでした。
そのような折、平成十年七月、佳苗が前に通っていた幼稚園で知り合った父兄の竹井はるみさんから、この仏法の話を聞く事となったのです。
宗教に村して先入観を懐(いだ)いていた私は、嫌々ながら聞いていたのですが、そんな私の態度にはお構いなく、竹井さんは本当に真剣に話してくれました。
そして、私の背負った不幸は、この仏法に背いて生きてきた果報なのだから、逆に仏法に従っていけば必ず幸せになれる-「佳苗ちゃんの障害も絶対に治るよ」と言い切ったのです。
その言葉に後押しされるように、私は佳苗とともに入信しました。(拍手)一ケ月後、主人も「佳苗が治るなら」と信仰につくことができました。
そして、家族三人で日々、御本尊様に手を合わせてお題目を唱えていくと、起こりえない事が起こってきたのです。
忘れもしません、入信半年を過ぎた三月三日のことです。学校から帰ってきた佳苗が、「疲れたから寝ようか」と言ったのです。
一瞬、何が起きたのかと思いました。私は主人と顔を見合わせ、「疲れたって言葉は、感情を表わす言葉だよね」と確認しあいました。
以後、佳苗は、次第に人とのコミュニケーションがとれるように変わり始めたのです。
さらに、この頃から、周りの人達が、佳苗の事で本当に親身になって協力してくれるようになってきました。
私の身近な所でも、障害を持った子供が普通学級に入ったものの、他の子供からいじめられたり、父兄からうちの子の勉強に差し障ると責められて、結局、心障者学級に移ってしまった、ということがありました。
それなのに、佳苗の場合、六年間の小学校生活の中で、いじめにあった事など一度としてなく、逆に、同級生のお母さんからは、「うちの子が優しくなったのはかなえちゃんのおかげ」と言われたり、四年生の時の担任の先生などは、「来年もかなちゃんを受け持ちたい」と校長に直訴(じきそ)して、結局、卒業までの三年間、ずっと担任として面倒をみてくれることになったのです。
その頃、私自身の身体にも変化が起こり始めました。
毎朝起きると、シーツが血だらけになっているほど掻きむしり、苦しんできた、あのアトピー性皮膚炎が、自然に治ってしまい、ステロイド剤を使う必要が全くなくなってしまったのです。
同時に喘息の発作も治まり、以来、今日まで一度として発作は起こっていません。
このようなことは、私自身の努力の及ぶところではありません。この仏法の功徳としか考えられないことの連続でした。
また、この間の平成十一年十二月には、次女の志保が生まれました。
普通、自閉症の子供が生まれた場合、二人目の子供も同じ障害を持って生まれてくることが多く、その確立は九十%を超えています。
ですから、通常は、出産を控えるのがほとんどです。
しかし私たちは、すべてを御本尊様に委(ゆだ)ねる覚悟で、授(さず)かった子供を出産することにしたのです。その結果、心身共に健康な子供が生まれてきました。
そして、この妹の存在が、佳苗の成長に大きな影響を与えることとなりました。
というのも、徐々に人とのコミュニケーションがとれるようになり、使える言葉も増えてきたとはいえ、まだ、佳苗は自閉症が治ったわけではなく、自分の世界に踏み込まると、激しいパニックを起こしたりしていました。
ところが、すくすくと成長する妹の志保は、そんな姉の状態にお構いなく「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と付きまとい、相手にしてもらえないと、大声で泣き叫び、姉の腕をとって無理矢理にでも進んでもらおうとするのです。
こうして、どんどん自分の領域に入ってくる妹に対し、最初は恐怖し、パニックを起こしていた佳苗でしたが、姉にかまってもらうと、泣きやんでニコニコする妹に、次第に表情が軟らかくなっていきました。そして、本当に仲良く遊べるようになり、時にはお姉ちゃんぶりを発揮したりするようになったのです。
また、私は、入信当初に高野幹事の体験を聞き、それ以来、心の支(ささ)えにしてきました。
ある時、高野幹事と直接、お話する機会があり、どのようにして賀一さんの病気を克服されたのか伺うと、幹事は一言「折伏ですね。」と言われました。そして高野幹事は、「大草講頭から『罪障消滅のためには折伏をしなくてはならない』と御指導いただき、親戚、知人、近所の人達と、片っ端から折伏して歩きました。本当に楽しいですよ、有り難いですよ。いつも、いつも折伏したくて、折伏させていただくために、お友達になったりするんですよ。賀一が幼稚園の時、そして小学・中学・高校と、その都度に周りを折伏しては村八分になりました。でも、その功徳で、絶望的な窮地(きゅうち)を何度も御本尊棟から救っていただきました。本当に折伏の功徳は絶大ですよ」と言葉を続けられました。
満面に笑みをたたえて、それは楽しそうにお話しされる姿に、境涯の違いを感じ、”本当に凄(すご)いなあ”と、ただただ感動するばかりでした。
いつも目先の事に一喜一憂する、信心の弱い私でしたが、同じ原因を積めば同じ結果がいただけるのだと思い、この日から折伏の実践を決意しました。
そして、御本尊様に祈って、ビクビクしながらも友人や知人、学校の先生達を折伏していきました。
次には、創価学会員への折伏も心がけ、公明党のポスターの貼ってある家を見つけては、一件一件折伏していきました。当然、バリバリの池田狂信者はかりで、メチャメチャに罵(ののし)られ、その頃から、夜九時過ぎになると、学会男子部の執拗な訪問を受けるようになりました。
しかし、怯(ひる)む心を振り払って折伏をしていくと、それに比例するかのように、さらに、さらに佳苗の症状が良くなっていったのです。
そして、中学入学を目前にした今年の三月始め、驚くべきことが起きました。
佳苗が突然、入信前の記憶を話し出したのです。「ねえ、ねえ、お母さん。佳苗ちゃんね、昔、幼稚園の時、しやペれなかったよねえ。真っ暗だった。怖くて、怖くて。一番怖かったのはお泊ま会の時だった。夜、真っ暗で恐くて、お友達の名前をずっと呼んで泣いてたよねえ。でも、今しゃべれるようになったよね。御本尊様に南無妙法蓮華経と言うようになってから、しゃべれるようになったよね」と。
私は、驚いて耳を疑いました。
それまで、自閉症という障害は、喜怒哀楽(きどあいらく)を感じたり、人間らしい感情を持ったりすることができないのだ、とばかり教えられていたのですが、本当は表現できないだけで、耐え難い苦しみを感じて続けていたことがわかりました。
一番辛(つら)かったのは、主人でも私でもなく、佳苗本人だったのです。
それにしても、自閉症を背負った子供が、過去の、それも全く感情を持てなかった頃の苦しみの記憶を話すなど、有り得ないことです。
この出来事に私は、表面的にはまだ多少、問題は残っているものの、本質的な部分で、佳苗の障害はすでに治っていることを確信しました。
こうしてこの春、佳苗は無事に中学に進み、家から三十分程の中学校に通うようになりました。この時、佳苗は登校についても、自分自身の意志をハッキリと示したのでした。
「一人で学校へ行きたい。お母さんはついてこないで大丈夫。皆と同じ様に行きたいの」と強く言い張るので、御本尊様に祈って学校へ送り出しました。「いってらっしやい」と送り出したものの、いても立ってもいられず、自転車で先回りをし校門付近で隠れて見ていると、佳苗は、先生やお友達に挨拶をしながら校門をくぐっていきました。
いつもいつも、一瞬たりとも側を離れることのできなかった、あの佳苗が、私の手を離れ、一人で三十分も歩いて登校できるなんて本当に夢のようで、有り難くて、有り難くてなりませんでした。
蔵の財・身の財・心の財
さらに仕事の面でも、大きな功徳をいただくことができました。
私たち夫婦は、十年ほど前からフリーのイラストレーターとして活動しています。しかし、この不況下、ほとんど仕事が入らず、不本意ながらも主人が別の仕事をして、家計を支えていました。
ところが、昨年八月頃より、途切れることなく仕事の依頼が入るようになってきたのです。周りの同業者を見れば、皆、仕事をとるために四苦八苦しており、私の状況に同業の友人も皆驚いております。
最近も、アパレル業界で常に好位置をキープしている会社から、新ブランドの企画に当たりイラストレ一夕ーを捜している、との話があり、以前、主人と私とで作った作品集を持ち込みました。この作品集がレストランの企画担当者の目にとまったのです。
私の絵が、新たにオープンするレストランのイメージにピッタリだとのことで、その場で決定となりました。
私は幼い頃より絵を措く事が大好きで、将来は、大好きな絵の道で仕事がしたいと思っていました。それも、できれば机の上の小さなスペースではなく、大きな空間の中に、自分のイメージの世界をダイナミックに表現し、いろいろな方々に楽しんでもらえる作品を作りたい、と願ってきました。
今回のこの仕事は、私が幼い頃より夢見てきた、まさにその仕事だったのです。
改めて、この仏法の有り難さを確信しました。
さらに先日、次女の志保が、「ねえお母さん、そこ、そこ。白いアザが消えてるよ」と言ってきました。鏡を見てみると、子供の頃にステロイド剤の副作用で色素がぬけ、大きな白アザとなっていたところが、なんと、普通の肌になっているではありませんか。
治らないものと言われ、すっかり諦(あきら)めていたのですが、今さらながらに若しかった過去の記憶が蘇(よみがえ)ってきて、ただただ、御本尊様のお力の前にひれ伏す思いでした。
蔵の財(たから)、身の財、心の財は、この信仰をしていない限り、揃(そろ)って得られることはないと言われますが、私は、この六年間の中で、確実にこの三つの財に恵まれつつあります。
佳苗のことがなかったら、あるいは私たちは、この素晴らしい仏法につけなかったかもしれません。今は、この仏法に導いてくれた佳苗に、心から感謝しています。
先日、佳苗の中学の体育大会が行なわれました。
行進の時に私達に向かって手を振り、リレーでは、走り抜いてバトンをしっかりと相手に手渡し、嬉しそうに私達の方へ駆け寄って来たり、楽しそうに踊りを踊ったり。私の隣にいた妹の志保が「お姉ちゃんすごい上手だね」と一言いました。私も「本当にすごいね」と言い、涙が込み上げてきました。
入信する前の、運動会どころか、人と交わるだけで気が狂ったように泣き、パニックを起こして叫んでいた姿を思い出すたびに、本当に有り難くて有り難くて、どれほど感謝しても、しきれない思いです。
この有り難い御本尊様への信仰を一生涯貫き、さらに、罪障消滅をめざして日々折伏に励む決意です。ありがとうございました。