日蓮正宗 根室山 法海寺

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◎元真言宗僧侶の体験

寄稿 東京都豊島区 法道院支部 T田Y一郎さん

 私は昭和三十六年に仙台で生まれ、父方の宗旨は曹洞宗で、祖父は曹洞宗経営の学校、栴檀中学校(今の東北福祉大学)の教員で半僧半俗の人でした。 

 伯父は曹洞宗の古刹、輪王寺で出家得度した僧侶でしたが、若くして結核で亡くなっております。

 母親の家系は天台宗系の神道で、代々滋賀県の御神山の神主でした。そのためか、私は新興宗教以外であれば宗教に関しては違和感がなく、小さい頃からお坊さんになりたいと思っておりました。

 私は宇宙に興味があり、宇宙の絶対の真実を解き明かしたいと思っておりましたので、中学生の頃から相対性理論を理解するために数学の勉強を始めました。

 真言宗と出合い ついには真言僧に

 一方、仏教にも輿昧を持っていた私は、高校の図書館で仏教書を読み漁っていたある日、『生命の海〈空海〉』という書物を手に取りました。そこには、「宇宙を体とする仏、大日如来」と書かれていたのです。

 それから私は真言密教に興味を持ち始め、大学は理学部数学科に入学したものの、仏教書ばかり読み漁っておりました。

 真言密教の勉強を始めると、日本には伝わっていないチベット仏教の存在を知りました。それは仏教学的に後期密教と呼ばれる、即身成仏をいとも簡単にもたらす技術がたくさんあると記述されておりました。

 貪るようにチベット仏教の書物を読み始めた途端、恐ろしい現証が私の体に現われ始めました。今思えば謗法の害毒でしょう。極度の睡眠障害となり大学の授業に全く出られなくなってしまったのです。

 何とか大学を卒業しIT関連の企業に就職しましたが、チベット仏教の勉強を続けていた二十六歳の時、周囲の反対を押し切って会社を辞めて東北大学のインド学仏教史学科に学部研究生として入学し、サンスクリット語、チベット語、哲学、比較宗教学の勉強を始めました。

 サンスクリット語は辞書があれば読解でき、チベット語は辞書なしでも読解できるようになったのですが、学問だけでは仏教は理解できないと痛感し、指導教官にチベット人高僧を紹介してもらい、その人の弟子になりました。

 これが人生転落の始まりです。猛烈な勉強と修行が始まり、毎週のように東京に通ってチベット人僧侶から密教の理論書と密教の行法の伝授を受けました。場所は東京都内にある浄土真宗の寺で、その伝授会には高野山真言宗の僧侶が多数参加しており、友達になりました。

 まず、修行の次第が書かれたチベット語のお経を意味を調べながら暗記し、それぞれ十万回の五体投地、発菩提心真言の念誦、金剛薩埵の真言の念誦、十万回の五体投地を伴った曼荼羅供養、一千万回のグルヨーガ(瞑想)。しかし、なかなか成し遂げられませんでした。

 金剛薩埵の念誦を十万回成し遂げた時、三十五歳になっておりました。その間に何人ものチベット人高僧から伝授を受けましたが、それはチベット仏教にご執心の人からは、羨望の眼差しで見られる伝授ばかりです。

 ある高野山真言宗の僧侶から、高野山で出家得度してみたらと言われ、平成八年四月十二日に、高野山の奥にある円通律寺真別処という所で、百三十日間の四度加行をし、八月八日に伝法灌頂を受け、阿闍梨となりました。高野山真言宗では、たった百三十日で、誰もが住職になれる資格が与えられるのです。

 八月三十一日に真別処を出ると高野山内の大円院という宿坊に移り、そこから高野山大学の図書館に勤務するようになりました。

 また、平成九年四月からは高野山大学の契約職員となり、大学構内にある大菩提院という修行道場で若い僧侶たちの指導をするようになりました。その間もずっとチベット仏教の修行は続け、一日も休むことはありませんでした。

 しかし四十歳の時に突然、精神変調をきたしました。ある夜、極度の恐怖感と不安に駆られてしまったのです。余りにもひどかったので、大阪の精神科に通院したととろ、「パニック障害・鬱病」と診断されました。

 この頃から他人とのコミュニケーションが取れなくなり、仕事が全く手につかず、また高野山真言宗に強い疑問を持ち始めていたので、四十二歳の時に高野山を降り、東京のIT企業に就職いたしました。

 そこで、精神変調を治そうと、チベット仏教の奥義といわれる修行を懸命にやりましたが、ますます病状が重くなり、終いにはホルモンバランスの変調をきたして過食し、ものすごく太り始めました。

 そして四十七歳の時、全く仕事ができなくなり生活保護を受けました。その時「私の人生は終わったのだな」と本当に痛感いたしました。

 そこでやっと気付いたのです。

 真言密教はけっして仏教ではない。

 真言密教の正体は強力な自己催眠術。敢えてよく言えば、イメージトレーニングに過ぎない。ですから、真剣に修行すればするほど、精神が変になるのは理の当然なのです。

 そこで、私は完全に真言密教を捨て去りました。それからは仏法そのものに疑問を持ち始め、哲学書ばかりを読み、生活保護を受けながらの長いニート生活が始まりました。

 「真理はこれ」と直感

 一昨年の八月初旬、ある書物をきっかけに大石寺版の『平成新編日蓮大聖人御書』を購入し、貧るように読みました。そして日蓮大聖人様の偉大さを思い知らされ、本当の正しい仏法が、そして宇宙の絶対の真理がここに説かれているのだと、到底理解などできませんでしたが、それは直感で判りました。

 そこで日蓮正宗寺院を訪れようと思い、インターネットで法道院のホームページに辿り着き質問いたしました。 すると回答があり、法道院に行く約束をし、八月十二日に訪ねた法道院で御主管・八木日照御尊能化に初めてお会いし、御主管の上品でお優しいお姿に心を打たれました。その瞬間、私は日蓮正宗の信者になろうと決意いたしました。

 しばらくお話し、御主管は、

「思い切って信心しましょう」

と仰いました。私は、

「はい。信心します」

と答え、その日に御授戒を受けました。私は謗法の邪教である真言宗を捨て、日蓮正宗に改宗したのです。その日より、人生のどん底からの急上昇が始まりました。心がウキウキ喜びの毎日でした。

 ここで、日蓮正宗と真言宗の違いの一端を述べたいと思います。

 日蓮正宗の信仰をしている方には、日常的に接している日蓮正宗の御僧侶と他宗の僧侶との違いは、判らないと思います。

 信徒を教化育成し、信仰上の悩みや生活上の悩みを解決するための指導をして成仏の境界ヘ導く日蓮正宗の御僧侶と真言宗の僧侶の、非常に身に染みる決定的な違いを、元真言宗の僧侶として簡単に説明いたします。

 真言宗においては住職の資格を得るまで、高野山真言宗、醍醐派真言宗などでは百三十日間の修行、豊山派真言宗、智山派真言宗などでは四十日閣の修行で無条件にその資格が与えられます。

 一方、日蓮正宗では教師になるのにおよそ十年かかります。まず修行年数の桁が違うのです。

 真言宗の若い僧侶と比べれば、比較するのがばからしいくらいに、日蓮正宗の若い御僧侶方は優れております。それは当たり前のととですが、日蓮正宗の御僧侶方はたいへんよく勉強されています。

 私は、高野山大学内の大菩提院という修行道場で若い僧侶たちの指導をしていましたので、その違いがよく判ります。

 例えば、真言宗で基本となる論書である十巻章の中に入っている十種類の論書の題名さえ言えない者が少なくありません。当然、読んでいないのです。決定的な違いは、仏教の基本的な知識がほとんどないことです。

 総本山大石寺に初めて登山した時、地区長の中嶋さんは六壷に私を連れて行ってくれました。その時のお小僧様のお姿に、私はものすごい衝撃を受けました。

 非常に尊いのです。頭を垂れ合掌して静々と人堂するお小僧様のお姿を見ただけで、本当に勇気付けられ心が洗われます。私は高野山で何をやってきたのかと、強い慚愧の念に打ちのめさせられました。

 読経のお声、正座の姿勢、所作があまりにも美しいのです。それを見て本当に目頭が熱くなりました。今でも、そのお姿を思い起こすと自然と涙が出てきます。僧侶としてのスタート地点がこうですから、住職になった時の質の違いは当然です。

 次に、日蓮正宗との決定的な違いは、儀式にたいへんよく現われます。真言宗は一言で言うと〝パフォーマンス〟の宗教です。それはそれは儀式を大切にします。

 真言宗には非常にたくさんの儀式があり、私もいろいろな儀式をさせられました。しかし、所詮パフォーマンスですから、中味が全くなく、儀式が軽薄なものになります。

 その違いは、日蓮正宗の様々な儀式を拝見させていただいてはっきり判りました。

 決定的だったのは、総本山大石寺の御大会での三々九度の儀式を拝見させていただいた時です。なぜ、あれほど正確な所作ができるのでしょうか。

 御仏祖三宝様の御前で、御法主上人猊下に御給仕申し上げるその信心が、一つひとつの所作に現われ、それは静粛の中に厳粛さと荘厳をひしひしと感ぜずにはおれませんでした。

 中味がない真言宗では、何年練習してもあれほどの所作は絶対にできないと断言できます。日蓮正宗の儀式を、当たり前と見ないでください。他宗では絶対に真似ができません。

 生活の中心に正法 真の孝養、再就職も

 さて、私は日蓮正宗に入信後一カ月ほどして、総本山大石寺へ参詣し、本門戒壇の大御本尊様の御開扉を受けました。そして数日後には自宅に御本尊様を御安置でき、御本尊様の偉大なる功徳で、真言宗の害毒で患った精神疾患は、御入仏の時には完全に梢えてしまっていたのです。

 一昨年の十二月には母の折伏を成就し、去年の五月には、アルツハイマーだった父を折伏。両親を御本尊様のもとに導くことができ、真美親孝行をすることができました。

 去年の十一月には、現在の会社に再就職ができました。五十二歳の一般企業への再就職など、普通は考えられないことです。今まで八木御主管をはじめ在勤御僧侶の方々、多摩地区をはじめとする講中の方々には、この一生ではお返しできないほどのご恩をいただきました。

 邪教謗法の真言宗の僧侶、そしてその信仰を捨てて本当によかったと思っております。今は、日蓮正宗の信心活動に、仕事にと充実した毎日を過ごしております。すべては唯一正しい日蓮正宗に改宗し御本尊様から戴いた大功徳です

大白法H261001より転載