日蓮正宗 根室山 法海寺

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◎国立戒壇って?

国立戒壇は大聖人の教義?

「国立戒壇」という名称は御書にはない。この名称をはじめて使用したのは、明治時代の立正安国会(後の国柱会)の創始者であった田中智学(ちがく)である。智学は国粋主義者で、当時の時代風潮に乗って、国立戒壇の名称を用いた。この頃、日蓮門下でも富士戒壇論が盛んになり、本宗においても法論等のなかで便宜上使ったこともあったが、国立戒壇という語句自体を伝統教義として扱ったり、宗門の公式見解として使用したことはない。

ここで最も大切なことは、宗祖大聖人の血脈を継承される時の法主上人がその時代性を鑑みて、どのように指南されるかということであって、この指南に従うことが日蓮正宗の信仰の在り方である。

日達上人は、昭和45年5月3日、「明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので本宗でも使用したが、もとより明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は国立戒壇という名称は使用しないことにする」と明確に指南され、この方針を当代法主上人も受け継がれている。

こうした経緯を弁えずに、顕正会が「近代の御法主上人の仰せに国立戒壇の語があるのに、現在の大石寺は国立戒壇を捨てた」などと喚(わめ)くのは、まったくの戯言(ざれごと)に過ぎない。

顕正会では自分たちの主張こそ日達上人の御内意であると吹聴しているが、日達上人の度重なる公式な指南に背いて講中解散処分になり、その後信徒除名となった結果をみても、浅井等の主張はまったく当たらないのである。

出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編