日蓮正宗 根室山 法海寺

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Q.なぜ神社はダメなのですか?

なぜ神社がダメなのですか?

あなたは今「なんて罰当たりな」と頭に浮かべられておられますか。

そんな方にこそ、少しお付き合い頂きたいのですが、
私たちはこの「罰当たり」という観念に縛られ、
思考を停止してしまう事がよくあります。
その結果、新興宗教に対しても具体的に指摘できません。
なぜなら「なにが悪いか」わかっていないからです。

社会の法律を変えても、具体的な新興宗教の指摘になりません。
その宗教の何が悪いか、その答えになっていません。
よって、法律では洗脳は解けないのです。

「新興宗教と神社は違う」

そう思われると思います。
では〇〇神社という名が付きますと神が来られるのでしょうか
それならば新興宗教が〇〇神社という名にしたら、神は宿るのでしょうか
建物が古めかしい和の作りであれば神は来てくれますか
岩が人みたいな形にみえたら、それは神ですか
細長かったら龍神ですか?

「罰当たりな」

といって大多数の人は思考停止してしまうのです。
それ以上考えることは辞めよ、と。

頭ごなしに決めつける人もいます。
「ダメなもんはダメなんだ、昔からあるんだから良いに決まってる」
そういった方はこれ以上の説明は苦痛かと思いますが、
根拠や理由というものを確認して物事を判断なさる方は
もう少しお付き合いください。

そもそも、あなたが神社への参拝や神棚、御守りなどに固執(こしゅう)するのは、「神社に祭られている神様には尊い力がこもっており、
その力によって災難から守ってもらえる、
受験なども合格させてもらえる」
と考えているのではないでしょうか

しかし、そうした考えは、残念ながら、実は、まったく逆なのです。

仏様は末法という時代が来ると、
仏法を正しく信仰する人が極端に減ってしまうだろう、と言われます。
真実の仏法の勢いも減少し、よって、
仏法の功徳を活動力の源と頼っていたあらゆる神は、
法味に飢えて社を捨て、去って行く、と説かれています。※

しかも、それだけでなく、
主を失った神社には、
代わりに悪鬼・魔神が棲みついて、
お参りをしてくる人々の心を惑わせ、
災難を引き起こす、と言われます。

ここを忘れないでください。

我々が拝む対象となるもの、札やお守り、
又は新興宗教の本尊も含めて、
鬼や魔が棲みつく、と仏様は仰るのです。

無害ではありません。力があるからこそ、恐いのです。
神社系に縁する方の特徴は、
修羅の命(怒りがちの命)や
生命力が無くなっていく傾向がみられます。
虚しさ、儚さ、虚無感を感じる方
なかには見えない物が見えたり、といった方もおられます。

我々凡人は
「そんな馬鹿な」
と思う。でも悟った方はそう仰っている、
これだけでも覚えて帰ってください。
仏様は、なんでもかんでも拝めとは言いません。

ですから、有名な神社の社や、あなたの家に貼ってある札、
お子さんがカバンにさげている御守り、
そこに悪鬼が棲み着いているため、
たとえそれを真剣に拝んでいなくても、
おのずとあなたや、あなたの家族の生活に悪影響を及ぼしたり、
体調を崩させたりというマイナスの悪縁となってしまうのです。

「でも罰が当たる気がする・・・」

そもそも、考えてみてください。
あなたが参拝した神様は、一年ごとに札を買いに行かないと
罰を与えるような心の狭い存在なのでしょうか。
随分と現金な神様ではないでしょうか。

「昔からある。そういうもんだ」

という乱暴な論理が通用する時代では無くなってきていると思います。
人々が物事に向き合い、きちんと考えて判断選択できる時代だと私住職は信じます。
そして宗教にハマった人をただ傍観する事しかできないのではなく、
あなた自身が宗教について少し考えてみて欲しいのです。
皆が真剣に冷静に考えれば、如何わしい宗教を阻止できるかもしれません。
まずは御自宅に貼ってある札から、考えて欲しいのです。

最後にひとつ。あらゆる宗教者が、追求に対する切り札は

「信じるものに神は宿る」

この言葉、変だと思いませんか。

これでは新興宗教も同様ではないですか。

仏教はそのような空想の世界ではありません。
だからこそ日々の寺院の読経・唱題が大切な修行なのです。
自らの身体で修行して心を磨いていくのです。
そもそも金銭の支払いで済む修行なんておかしいと思いませんか

※「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、
聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。

と教えられています。