信仰の功徳
「この木なんの木きになる木」
という日立のCMがございます。
これは私が小学生の頃の記憶で、
現在は放送されていないと思いますが、
妙に印象に残っているCMです。
大きく頼もしい木の映像と、
なんとも言えない歌詞に、
心温まる、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、
20年以上経過した今でも、よく覚えています。
大きな木には深くしっかりとした根っこがあります。
その根っこが確実に地面をとらえる事によって、
風に負けない力強さを持つ。
でも根っこは地面を掘らないと見えません。
しっかりとした根っこが栄養を取り込まなければ
生い茂る葉っぱも、花も咲くことはない。
でもやっぱり根っこは外から見えません。
根っこが腐ってしまえば、全ては終わりです。
生い茂る葉も花も、全て枯れて死んでしまいます。
仏教の方では「功徳善根」と繋げて言う場合がございますが、
信仰の功徳とは、まさに根っこの部分であると思います。
もちろん生い茂る葉も花も、華やかですが、
本当に大切なところは根っこ、根本です。
きっとこれは小学生でもわかる道理であると信じます。
日蓮大聖人様は「功徳とは、六根が清浄になることですよ」と仰せです。
簡単に言えば、あらゆる感覚機関が清浄になること、
ものを正しく見れるようになり、
ものを正しく聞けるようになり、
(以下省略)
つまり人間が素直に正直になる、
これが功徳だと説かれました。
「なんだ、そんなことか、たいしたことないな」
と、もし小馬鹿に思われる人でも、
仏道修行の徳によって、功徳によって、
正しくものを聞けるようになり、
「いやいや、まてよ
素直さこそ人にとって徳ではないか
素直さこそ人にとって徳ではないか
実は一番大切な事ではないか」
と気が付くことができる。
大人は子供に「素直な子になりなさい」と願う。
良い子の定義は様々ですが、
素直な子は良い子に分類されると思います。
では大人はどうでしょうか。
殺伐とした厳しい社会に揉まれ気がつけば、
素直な子がやがて素直でない大人となる。
素直な眼差しがキツイ目つきになる。
でも日蓮正宗のお題目をこつこつ唱えていきますと、
どんな人でも、素直な清浄な心を開いていくことができるのです。
そして、根っこがしっかりとしてくれば、
やがて葉も花も生い茂ってくる。
自分自身も、ご夫婦も親子も家族も、
みな素直な心で、円満となっていくのです。
筆舌に尽くし難いという表現がございますが、
日蓮正宗の功徳とは、なんとも言えなく有難いものです。
あなたが現在、なにか悩みがあるのならば、
私の長い話を聞くより、お寺に来てお題目を唱えてみてください。
冷え切った指さきがじんわりと温かくなるように、
きっとあなたも少しずつ幸せを噛み締めることができます。