日蓮正宗 根室山 法海寺

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◎日蓮正宗の信仰の功徳とは

 信仰の功徳

「この木なんの木きになる木」
という日立のCMがございます。
これは私が小学生の頃の記憶で、
現在は放送されていないと思いますが、
妙に印象に残っているCMです。
大きく頼もしい木の映像と、
なんとも言えない歌詞に、
心温まる、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、
20年以上経過した今でも、よく覚えています。

大きな木には深くしっかりとした根っこがあります。
その根っこが確実に地面をとらえる事によって、
風に負けない力強さを持つ。
でも根っこは地面を掘らないと見えません。

しっかりとした根っこが栄養を取り込まなければ
生い茂る葉っぱも、花も咲くことはない。
でもやっぱり根っこは外から見えません。

根っこが腐ってしまえば、全ては終わりです。
生い茂る葉も花も、全て枯れて死んでしまいます。

仏教の方では「功徳善根」と繋げて言う場合がございますが、
信仰の功徳とは、まさに根っこの部分であると思います。
もちろん生い茂る葉も花も、華やかですが、
本当に大切なところは根っこ、根本です。
きっとこれは小学生でもわかる道理であると信じます。

日蓮大聖人様は「功徳とは、六根が清浄になることですよ」と仰せです。
簡単に言えば、あらゆる感覚機関が清浄になること、
ものを正しく見れるようになり、
ものを正しく聞けるようになり、
(以下省略)
つまり人間が素直に正直になる、
これが功徳だと説かれました。

「なんだ、そんなことか、たいしたことないな」
と、もし小馬鹿に思われる人でも、
仏道修行の徳によって、功徳によって、
正しくものを聞けるようになり、
「いやいや、まてよ
素直さこそ人にとって徳ではないか
実は一番大切な事ではないか」
と気が付くことができる。

大人は子供に「素直な子になりなさい」と願う。
良い子の定義は様々ですが、
素直な子は良い子に分類されると思います。
では大人はどうでしょうか。
殺伐とした厳しい社会に揉まれ気がつけば、
素直な子がやがて素直でない大人となる。
素直な眼差しがキツイ目つきになる。
でも日蓮正宗のお題目をこつこつ唱えていきますと、
どんな人でも、素直な清浄な心を開いていくことができるのです。
そして、根っこがしっかりとしてくれば、
やがて葉も花も生い茂ってくる。
自分自身も、ご夫婦も親子も家族も、
みな素直な心で、円満となっていくのです。
筆舌に尽くし難いという表現がございますが、
日蓮正宗の功徳とは、なんとも言えなく有難いものです。

あなたが現在、なにか悩みがあるのならば、
私の長い話を聞くより、お寺に来てお題目を唱えてみてください。

冷え切った指さきがじんわりと温かくなるように、
きっとあなたも少しずつ幸せを噛み締めることができます。

◎六根清浄

六根の「根」とは、草木の根に譬えられ、私たちの生命が周囲のものを取り入れたり、認識する能力のことで、眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根の六つの器官をいいます。この六根が煩悩に覆われていると、外界の事象を正しく認識できないばかりか、それにともなう行動も誤ったものとなり、苦しみの原因を作ることになるのです。こうした業苦を消滅させつためには、六根そのものを清らかな状態にしていくことが必要です。法華経受持の功徳によって六根それぞれに多くの清浄の果報を得ることが明かされています。これを概説すると次のようになります。
【眼根の功徳】すべての事象が明らかに見え、物事の因果を正確に知ることができる
【耳根の功徳】あらゆる音声から、実・不実を聞き分ける事ができる
【鼻根の功徳】あらゆる臭いを嗅ぎ分け、分別を誤ることがなくなる。
【舌根の功徳】勝れた味覚を持ち、さらにその声は深妙となり、聞く者を喜ばせることができる。
【身根の功徳】穏やかで健全な身体となり、外界の刺激に適合させ、自身を処する事ができる。
【意根の功徳】心は清らかに、頭脳は明晰となり、智慧が深くなる。
すなわち、六根清浄とは六根にそなわる煩悩の汚れが払い落され、物事を正しく判断できる智慧を得ることをいうのです。

◎即身成仏

「即身成仏」とは、煩悩に覆われた凡夫の身のままで仏になることをいい、自己の生命の奥底にそなわる仏性を開き、安心立命の境涯となる最極の功徳といいます。この即身成仏は、小乗教で説くような煩悩をすべて滅することでも、また死んだ後にはじめて仏になることでもありません。生きているこの身のまま、煩悩を持ったままの姿で仏の境涯を得ることで、これは日蓮大聖人の仏法を信仰する事によってのみ可能となるのです。自身の煩悩・業・苦の三道が、清浄にして不動の心(法身)となり、深い智慧と慈愛に満ちた人間性(般若)を開発し、人生を自由自在に遊楽(解脱)させる働きをもたらすことになると示されます。
 さらにこの即身成仏の境涯は、大聖人が、「生きてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり」と仰せられ、その徳は今世だけにかぎらず未来永劫までに及んでいくのです。またこれらの功徳の実証は、ひいては父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ、さらに未来の子孫に福徳をもたらすことにもなるのです。

 このように、御本仏大聖人の大慈大悲による仏天の加護を受け、正しい信心と修行によって三世にわたる福徳がそなわり、清浄にして自在な仏の境界を実生活のなかに現わしていくことができるのです。これが六根清浄であり、即身成仏の大功徳です。