日蓮正宗 根室山 法海寺

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Q.仏教であればお釈迦様の教えはどれも同じですか?

お釈迦様の教えはどれも同じですか

 同じではありません。

 インドに出現された釈尊は、30歳のときに悟りを開き、80歳で亡くなるまでの50年間にわたり、さまざまな教えを説かれました。なかでも72歳の時から説法されるようになった法華経には、「この法華経こそが、他のお経と比較しても、真実、最高の教えである」と説かれています。つまり、どの教えも尊いが、法華経は他のお経と比べても、もっとも尊い教えである、ということです。

 また、法華経の開経である『無量義経』には「四十余年未顕真実」とあり、法華経より前に説かれた数々のお経(念仏や真言のお経、般若心経など)はすべて、権教(仮りの教え)であるから、これより以後は、それらのお経を用(もち)いてはならないことを明かしています。

 現在も数多くある仏教宗派はみな、釈尊が「用いてはならない」と誡めたお経を、唱えているのです。ですから現代において、真実に仏教の功徳を得ようと思うならば、法華経の教えと、それらのお経をともに信仰することは、良い薬に毒薬をまぜて、良い薬の効能をすべて消し去って毒に変えてしまうことと同意となるのです。

 日蓮大聖人はこのことについて
 「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞(ふん)を雑へ沙石(いさご)を入れたるが如し」(秋元御書)
と、きつく他のお経と法華経を同時に信仰することを禁止されています。
 日蓮大聖人の教えは、すべての人を平等に成仏させる最高の教えです。日蓮正宗で唱える南無妙法蓮華経のお題目は、何ひとつ混じりっけのない、純粋無垢(むく)な御題目なのです。この純粋無垢な題目を唱えながら、他の宗教や神様、仏様を、ごちゃ混ぜにして信ずることは、残念ながら、成仏の道を、みずから混乱せしめる行為となってしまいます。

 また、日蓮大聖人はさらに厳しく、
 「何(いか)に法華経を信じ給うとも、謗法(ほうぼう)あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに、蟹の足一つ入れたらんが如し」(曽谷殿御返事)

と示されています。いかに正しい仏法を信じ、正しい御本尊に正しい題目を唱えていても、一方で、法華経以外のお経や教えに心を移す人は、あかたも純粋な漆(うるし)の樹液に、蟹(かに)の足というゴミをまぜ、貴重な漆を台無しにしてしまうようなものである。よって法華経とは別のお経を、ともに信仰する人は、残念ながら堕地獄の果報を招く結果となると指摘されているのです。

 日蓮大聖人が
 「此の南無妙法蓮華経に余事(よじ)をまじ(交)へば、ゆゆしきひが事なり」(上野殿御返事)
と仰せのとおり、成仏の利益は、日蓮正宗に正しく伝わる日蓮大聖人の仏法だけを、清浄で純粋な心をもって信じ行ずるとき、はじめてもたらされるのです。