日蓮正宗 根室山 法海寺

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Q. 御授戒ってなんですか?

御授戒について

古来、仏法に帰依(入信)する人は、
戒を受け、その戒を持つことを誓ってきました。
これを受戒と言い、授ける立場からは授戒と称します。
 現在、他宗では、僧侶の出家時のみ受戒を行ったり、
仏縁を結ぶと称して菩提寺や信仰の確認もせずに
授戒会への参加者を募集している仏教寺院もあるようです。
 日蓮正宗では、入信を決意した時、
寺院または御本尊安置の御宝前で、必ず「御授戒」の儀式を行う
ことになっています。 [※1]
 御授戒は、正法に背く行いや他の神仏等への一切の執着を捨て、
御本仏日蓮大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊を
受持することをお誓いする、大切な儀式なのです。

末法における持戒

 過去に出現した仏が等しく説い教えとして、
七仏通誠と呼ばれる経文が伝わります。そこには、
「悪い行いをせず、善い行いをし、心を浄くする。
 これが諸仏の教えである」と説かれています。
 この教えを実践し、
心身に過ちを起こさない自発的な心の作用を「戒」といいます。
後に、修行者の規範である「律」が結びついて
「戒律」となり、戒律を授ける場所が
戒場戒壇と称されるようになりました。
 時代が下るにつれて、授戒の作法や元となる教えも
様々に変化し、日本では、仏教伝来から約二百年後に、
鑑真によって小乗(自己の悟りを求める教え) の戒壇が
建立されました。その後、伝教大師最澄によって、
大乗(他を利益し成仏を説く小乗より勝れた教え) の戒壇が
建立されましたが、末法の世となり、
既に鎌倉時代には戒壇や授戒の儀式は形骸化していました。

 日蓮大聖人は、そのような時代に御出現され、
「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、
三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為り。
此の五字の内に豊万戒の功徳を納めざらんや。
但し此の具足の妙戒は一度持って後、
行者破らんとすれども破れず。
是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし」
(御書 一一〇九ページ )
と末法の正しい持戒の在り方教示されています。
 南無妙法蓮華経の御本尊を受持し信心修行に励むこと
(受持即心が、そのまま一切の戒を持こと(受持即持戒)になり、
一切の功徳を享受する唯一の方途でもあります。

 またこの戒は、一度受持すれ破られることがないため、
金剛器戒といいます。 [※2]
 たとえ退転(日蓮正宗の正しい信仰から離れること)し
悪道に堕たとしても、持戒の功徳によって
妙法との縁が切れることはなく、後に必ず成仏を遂げるのです。

御授戒の大切さ

 折伏をしていると相手から、
「あなたの信仰が正しいということは判ったし、
南無妙法蓮華経を唱えることもかまわないが、
先祖からの宗旨は替えられないし、お寺に行くのは無理だ」
と言われることがあります。
 また、未入信の家族から、
「あなたが信仰するのは自由だし、
仏壇を安置するのも反対しない。
私も悩みができたら手を合わせるかもしれないが、
わざわ入信の儀式まで受ける必要はないでしょう」
などと拒否され、なかなか御授戒に至らない方もいると思います。

 日蓮正宗の信仰に反対しないばかりか、御題目も唱えるというのであれば、未入信とはい他宗教の信仰に励むより、よほどいい状況のように感じることでしょう。

しかし、日蓮大聖人は『御講聞書』に、
「南無妙法蓮華経有れ共、
今身より仏身に至るまでの受持を受けずんば、
成仏は有るべからざるなり」(同一八四三ぺージ)
と仰せられています。
 御宝前において、はっきりと自らお誓い申し上げなければ、
いくら日蓮正宗の御本尊に手を合わせても、
生涯にわたり南無妙法蓮華経の御題目を唱えたとしても、
けっして功徳を頂戴することはできません。
それは、成仏という最高の功徳に限ったことではなく、
病気平癒などの諸々の祈念も、
御授戒なくして叶うことはないのです。

 御授戒によって一切の教えの根本である
南無妙法蓮華経の御本尊を受持することで初めて、
過去世からの罪障を消滅し、即身成仏の道が開かれます。

きちんと御授戒を受け、精進することが大切です。

※1 入信希望者が病院に入院している場合など、
寺院や御本尊安置の場所へ行くことができないときは、
所属寺院へ相談してください。

※2 「金剛宝器」とは、
極めて堅固で何物にも壊されない
金剛石(ダイヤモンド)の器のこと。
経典では、仏道を修めた者が物事に迷わない様を
金剛に譬えることがある。

(大白法令和4年8月1日号より転載)