【観音信仰】観音さまとは
観音信仰で信仰の対象とされる「観音」とは、
法華経の観世音菩薩普門品に説かれる
「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)のことです。
観世音菩薩は、観無量寿経では阿弥陀如来の脇士とされ、
真言密教では菩薩として曼荼羅に描かれていますが、
その本身は法華経の功徳の様相を示した菩薩です。
法華経には、
「観世音菩薩は、信仰者の七難を救い、
貪り・瞋り・痴かの三毒を除き、
楽と長寿を求める両願を満たし、
機根に応じて三十三身を現じて、
それぞれに法を説き解脱させる」(法華経567趣意)
と観世音菩薩の徳が説かれ、
「観世音」とは本来「世間の声(音)を観る」
ことを意味しており、衆生の苦しみ悩む声を聞き、
その姿をよく観て、慈悲をたれる
徳用のある菩薩とされています。
しかし、これがいつしか
「世情に通じ、商売を繁盛させる菩薩」
と変化し、衆生の欲得を満たす菩薩として
広く信仰されるようになりました。
また、この利益が強調されて、
元来、法華経のなかの一品である観世音菩薩普門品が、
特に「観音経」として用いられるようになりました。
観世音菩薩が三十三身を現ずるところから、
様々な「変化観音」が生まれました。
主なものを挙げますと、
○十一面観音・・人々の様々な苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けるという。
○千手観音・・多くの手は、多くの人々に救済の手を差し伸べる慈悲を表すという。
○馬頭観音・・衆生の無知や煩悩を断じ、諸悪を破壊消滅させるという。
○不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)・・苦悩する人々を一人も漏らさずに救いとるという。
○如意輪観音・・意の如く財宝と福徳をもたらすという。
などがあります。
さらには、これらが組み合わされて、六観音、七観音、民間信仰の安産祈願と結びついた子安観音、マリア観音など、様々な観音信仰が生まれました。
また観世音菩薩の三十三身変化にちなんで、西国三三ヶ所巡礼なども行われています。
【観音信仰のあやまり】
〜 本末転倒の観音信仰〜
観世音菩薩が衆生を教化するために三十三身を現じたことは、
仏の化導を助けるためのもので、
観世音菩薩だけを独立させ信仰の対象とすることは、
本末転倒の姿です。
観世音菩薩の本来のはたらきは、
「法華経が最も優れた教えであること」
を宣揚することにあります。
この本義をわきまえず観音さまと崇めても、
利益はありません。のみならず、
かえって法華経を蔑ろにする業となります。
したがって、法華経の観世音菩薩普門品を独立させ
「観音経」とすることも、法華経の主旨に反します。
〜全国各地の「○○観音」は客寄せのための産物〜
近年では「〇〇観音」 といった名称で、全国各地に
法華経の観世音菩薩普門品に説かれる
「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)のことです。
観世音菩薩は、観無量寿経では阿弥陀如来の脇士とされ、
真言密教では菩薩として曼荼羅に描かれていますが、
その本身は法華経の功徳の様相を示した菩薩です。
法華経には、
「観世音菩薩は、信仰者の七難を救い、
貪り・瞋り・痴かの三毒を除き、
楽と長寿を求める両願を満たし、
機根に応じて三十三身を現じて、
それぞれに法を説き解脱させる」(法華経567趣意)
と観世音菩薩の徳が説かれ、
「観世音」とは本来「世間の声(音)を観る」
ことを意味しており、衆生の苦しみ悩む声を聞き、
その姿をよく観て、慈悲をたれる
徳用のある菩薩とされています。
しかし、これがいつしか
「世情に通じ、商売を繁盛させる菩薩」
と変化し、衆生の欲得を満たす菩薩として
広く信仰されるようになりました。
また、この利益が強調されて、
元来、法華経のなかの一品である観世音菩薩普門品が、
特に「観音経」として用いられるようになりました。
観世音菩薩が三十三身を現ずるところから、
様々な「変化観音」が生まれました。
主なものを挙げますと、
○十一面観音・・人々の様々な苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けるという。
○千手観音・・多くの手は、多くの人々に救済の手を差し伸べる慈悲を表すという。
○馬頭観音・・衆生の無知や煩悩を断じ、諸悪を破壊消滅させるという。
○不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)・・苦悩する人々を一人も漏らさずに救いとるという。
○如意輪観音・・意の如く財宝と福徳をもたらすという。
などがあります。
さらには、これらが組み合わされて、六観音、七観音、民間信仰の安産祈願と結びついた子安観音、マリア観音など、様々な観音信仰が生まれました。
また観世音菩薩の三十三身変化にちなんで、西国三三ヶ所巡礼なども行われています。
【観音信仰のあやまり】
〜 本末転倒の観音信仰〜
観世音菩薩が衆生を教化するために三十三身を現じたことは、
仏の化導を助けるためのもので、
観世音菩薩だけを独立させ信仰の対象とすることは、
本末転倒の姿です。
観世音菩薩の本来のはたらきは、
「法華経が最も優れた教えであること」
を宣揚することにあります。
この本義をわきまえず観音さまと崇めても、
利益はありません。のみならず、
かえって法華経を蔑ろにする業となります。
したがって、法華経の観世音菩薩普門品を独立させ
「観音経」とすることも、法華経の主旨に反します。
〜全国各地の「○○観音」は客寄せのための産物〜
近年では「〇〇観音」 といった名称で、全国各地に
巨大な観音像が建てられるなどしていますが、これらは従来の観音信仰に便乗しただけのものであり、客寄せのための産物に過ぎません。
したがって「〇〇観音」の前に行っても、
何の功徳も利益も得られないどころか、
正しい仏の道から外れた行いとなり、
悪業となってしまうのです。
法華経が、仏の真実の教えであることを
宣揚するのが、観世音菩薩の本来の役割であり
直接拝んでも利益はありません。
末法においては、法華経の肝心たる
南無妙法蓮華経こそ真実の教えであり、
正しい仏の道であります。
もしあなたのお寺が
「〇〇観音」と掲げるならば、
それは経典に極めて無知である証です。
経典を読み違えて、そこに利益は感じないはずです。
お寺はどなたにも門を開いております。
是非とも参詣なされ法華経に縁なされて
本当の幸せをお築きください。
何の功徳も利益も得られないどころか、
正しい仏の道から外れた行いとなり、
悪業となってしまうのです。
法華経が、仏の真実の教えであることを
宣揚するのが、観世音菩薩の本来の役割であり
直接拝んでも利益はありません。
末法においては、法華経の肝心たる
南無妙法蓮華経こそ真実の教えであり、
正しい仏の道であります。
もしあなたのお寺が
「〇〇観音」と掲げるならば、
それは経典に極めて無知である証です。
経典を読み違えて、そこに利益は感じないはずです。
お寺はどなたにも門を開いております。
是非とも参詣なされ法華経に縁なされて
本当の幸せをお築きください。