日蓮正宗 根室山 法海寺

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【顕正会の方へ】

顕正会で困っている方へ

今までの習慣から
新たな習慣へ変えることは
自分自身が変わるということです

趣味を変える、服装を変える、行動を変える
それだけなのになぜか
「裏切り者」と言ってくる人がいる
あなたは何ひとつ悪いことはしてないのに

もっと成長しようと、考えて一歩を踏み出そうとしている
それなのに、うしろめたい、私の人生なのに、
なぜ自分で決められないのか
決められているのか

でも考えてみると、本当の人間の繋がりがあるなら
関係性は変わらないのではないでしょうか
悩みの種は「友達未満の知り合い」ではないでしょうか
こうした濃いようで薄いつながりの人たちは、
脱会者を監視しており、あなたの一歩を応援してくれないでしょう
なぜならば、その繋がりになんらかの利点があるから。
引き止める動きが起きる。
そして会内の情報だけを信じろと、外の情報を遮断します。
「インターネットは見るな」と。

それでも他人ではなく自分の人生
変わりたいのに変わる事を恐れていたらなにも変わらない
勇気をもって一歩踏み出してください。
応援します。

住職

顕正会の本尊はどこから?

昭和60年3月15日号の顕正新聞に次のような記事が掲載されている。
「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、
自ら護持されていた大幅の常住御本尊7幅と、
日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。
この7幅の常住御本尊とは、
28代日詳上人、54代日胤上人、55代日布上人、56代日応上人、
60代日開上人、64代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、
このうち日布上人の御本尊が高知会館に安置されたのである」

この7幅の本尊について、元顕正会本部職員によれば、

  • 28代日詳上人の本尊:芙蓉会館に安置
  • 54代日胤上人の本尊:法要に使用
  • 55代日布上人の本尊:高知会館・横浜会館に安置
  • 56代日応上人の本尊:顕正寺(顕正会の寺)に安置
  • 60代日開上人の本尊:顕正会本部に安置
  • 64代日昇上人の本尊:未公表

となっている。しかし、顕正会は近年になって地方に会館を次々と建て、
それぞれ本尊を安置しているというが、その本尊の出所はどこなのか。
顕正会があれほど創価学会のことを悪しざまにいいながら、
こと『ニセ本尊』に関してだけは口を閉ざしている理由はここにある。

顕正会が、たとえどこからか本尊を持ってきても、
それは血脈の切れた本尊であり、功徳の法水は一切流れ通わない。
功徳どころか大罰を受ける所業である。
そもそも御本尊の授受に関する権能は、
御法主上人唯一人であることを肝に銘ずべきである。

出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編

会員が絶対に触れない「ニセ本尊」の話題

顕正会の方が決して触れない話題、絶対に話を逸らす話題です。
住職自身現在まで数多くの顕正会員とお話しさせて頂きましたが、
ベテラン会員から末端会員まで、
「わからない」「知らない」
と話題を変えるのが「ニセ本尊」の話です。

創価学会製本尊、通称ニセ本尊は世に出回って30年ですが
顕正会内では学会製ニセ本尊に対する破折がありません。
なぜでしょうか。
それともニセ本尊が出回ってこの30年間、
創価学会の方と接触したことがないのでしょうか。
創価学会から顕正会に改宗された方は、
全員本尊を安置していなかったのでしょうか。

顕正会員は皆、本尊の話題になると
「わからない」「知らない」
「そんなことより国立戒壇だ!」
と言って話題を変えますが、そのようなマニュアルがあるのでしょうか。

全国的に日蓮正宗から「ニセ本尊」と追及されてますが、
(その記事の一部を掲載しております。クリックして画像を拡大してください)
なぜ顕正新聞に「ニセ本尊」の話題は出てこないのでしょうか。
なぜ日蓮正宗に対する反論を掲載しないのでしょうか。

宗教、信仰の根幹である本尊について、
なぜ顕正会員は誰も「知らない」のでしょうか。
得体の知れないものを拝んでいるのですか?

なぜ「遥拝勤行」にシフトチェンジしたのですか
遥拝で不足ないのならば、
なぜ自宅拠点に御本尊を安置していたのでしょうか
自宅拠点に安置されていた御本尊を返納して
「遥拝でいいんです」と
なぜ歴史が変わっているのでしょうか

疑問だらけ、謎だらけの本尊です。

わからなければ、冷静になってご自身で検索なさるか、
法海寺へお越しください。
事実を知った上で、あなたがどう判断なさるか、
それを強要することは断じてありません。
声を荒げてまくしたてても、得るものはありませんから、
冷静に共に考えてみませんか。
あなたの人生ですから勝手と言われればそれまでですが、
慈悲を説く仏教において、道を説いてあげるのが折伏ではないでしょうか。

眉間に皺を寄せないで、肩の力を抜いていらしてください。

◎遥拝勤行って?

「遥拝勤行」の根拠として、
『千日尼御前御返事』の、

「御身は佐渡の国にをはせども
心は此の国に来たれり。(中略)
御面を見てはなにかせん。
心こそ大切に候へ」(御書 一二九〇)

の文を挙げる。

しかし、当文は老齢の夫阿仏房を
身延の大聖人の元へ送り出した千日尼の信心を
称賛されたものであり、
けっして顕正会の言う「遥拝勤行」の意義を
示したものなどではない。


そもそも阿仏房夫妻は、
この時点で大聖人から御本尊を賜っており、
日々御本尊を直接拝していたのである。

よって前掲御書は、あくまで夫の留守を護る状況と、
老齢であることなどを加味した、千日尼への賛辞である。

病によって参詣が疎かになっていた南条時光に対して、

「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし」(同一五六九)
と仰せのように、信仰の基本として
登山参詣が存することは明らかです。

また「遥拝勤行」に重要な意義があるかのように指導する一方、
日蓮正宗の元僧侶から託されたと称する、
総本山の認可がない御本尊を会館に勝手に安置し、
さらには偽造疑感のある出処不明の本尊を
各地の会館や自宅拠点などに配布する始末である。

一刻も早く御歴代上人御書写の御本尊を総本山大石寺に返納し、
疑惑の本尊下付もやめ、「時に適った信行」とする
「遥拝勤行」を徹底すればまだ筋も通るがこの矛盾はどう説明するのか。

このような自語相違、矛盾した指導は、
日蓮正宗から破門され、 御開扉内拝も
御本尊下付も許されないことによる、苦し紛れのものです。
(大白法1102号 抜粋)

顕正会のみなさん。
あなたはなぜ本物の御本尊様を頑なに拝さないのですか
意地を張り、怒り、声を荒げるのはおしまいにして、
一度、自分の目で、本物の御本尊様を拝してみてください。

全国には本物の御本尊様を御安置申し上げる寺院がございます。
ここ根室市には法海寺がございます。
一度肩の力を抜いて、真正面から御参詣ください

「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし」(御書一五六九)