日蓮正宗 根室山 法海寺

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【立正佼成会】

とんちんかんな似非宗教

立正佼成会は、昭和十三年、霊友会を離れた庭野日敬と長沼妙佼により設立され、庭野の姓名判断や易学等と長沼の霊感があるような振る舞いをもって教勢を拡大した在家教団である。
 表向きの教えは法華経に依っているが、教義的なものがほとんどない霊友会から生まれたため、聞きかじった仏教用語を並べているに過ぎず、つじつまの合わない見当違いな本尊を立てている。
めまぐるしく変わる本尊
 しかも、発足当初から、わずか数年の間に、何度も本尊を変えている。
 それらは、例えば、長沼の神がかりによって、霊友会の曼荼羅に少々書き加えたものであったり、庭野が「日蓮聖人の大曼荼羅」と称して勝手に書いた本尊であったりもした。
 なお、長沼の死をきっかけに、庭野は、長沼の有り難い「神のお告げ」を「直接、神の声を聞く必要がなくなった」と下した。 そして現在は、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」(釈尊の立像)を本尊としている。
 それについて庭野は、長沼の神がかりに頼ってきた時代は方便の時代で、庭野自身が現在の本尊を定めたことを「真実顕現」と嘯いている。
 真実顕現について、庭野は自伝に、ずうずうしくも日蓮大聖人の
「一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(御書 一〇三六ページ)
との『報恩抄』の御金言を悪しく引用し、大聖人は釈尊を中心とする教学を打ち立てたと、見当違いなことを言う。
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(同九二ページ)
である。
 相伝家の日蓮正宗では、総本山第二十六世日寛上人が、「本門の教主釈尊」とは「本門寿量文底の教主釈尊」、すなわち日蓮大聖人であることを、明確に御指されている。
何でもありの愚かな修行
 庭野の言う方便の時代には、長沼の神がかりによる呪術的修行を行いつつ、庭野の姓名判断や易学などを活かし布教の手段とした。
 そして長沼の死後、庭野の言う「真実顕現の時代」に、四諦・十二因縁等の仏教用語を用いて、もっともらしい一般道徳を述べ始める。あくまで法華経の修行を実践していると言いたいらしいが、これらは庭野の身勝手な我見である。
 さらには、「今後とも『真実につながる万億の方便』を駆使して、布教活動に挺身していく」(自伝)等と、支離滅裂なことを言う。
そもそも、法華経の方便たる四諦・十二因縁等の修行を用いること自体、おかしな話である。法華経には、
「正直に方便を捨てて」(法華経 一二四ページ)
と説かれているのだから。
法華折伏破権門理
 立正佼成会では、
「異なる宗教もそれぞれに人類の平和と幸福を願っているのですから、その共通の目標に向かって協力し合える」(立正佼成会ホームページ)
と、諸宗教との対話・協力を全面に出している。これは、天台大師が、「法華は折伏して権門の理を破す」(法華玄義釈籤会本 下五〇二ページ)
と示された法華経の教えに、明らかに違背している。
法華経の教説のどこを見れば、 このような珍説が出てくるのだろうか。まさに、
伝教大師が、
「法華経を賛すと雖も還って法華の心を死す」
と言われる通りである。
 元来、釈尊は法華経で、末法の衆生を救う御本仏出現を予証される。つまり、釈尊から上行菩薩へ法華経の肝要を付嘱された上、末法の弘教を託されるのだ。そして、末法に、法華経に示された通りに数々の法難に値われたのは、日蓮大聖人のみである。
『百六箇抄』には、
「本地自受用報身の垂迹 上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す」(御書 一六八五ページ)
と、相伝の上から御教示である。
 本門戒壇の大御本尊を正しく拝し、正しく勤行・唱題の修行ができるということは、けっして当たり前ではない。私たちはその有り難さを知り、一人でも多く、折伏していこう。
(大白法 令和4年10月16日号より転載)